2013年8月27日火曜日

秋の気配 散歩の誘い


 夕方になるとめっきり涼しくなった。急に秋が来たようだ。家の周りの稲もずいぶん伸び、色づくのも間もなく。すすきもチラホラと姿を現した。人間がどれだけ馬鹿なことをやっても、季節は巡ってくる。
 福島は四方を山に囲まれている。特に西側にある吾妻連邦は雄大である。しかし、日々暮らしているとその雄大な自然の素晴らしさなどは忘れてしまう。日々の生活に追われ、山や周りの風景を見る機会をなくしてしまう。改めて散歩してみると福島の自然や風景に心を癒される。私は人々の日々の暮らしと自然が調和している里山の風景が好きだ。田んぼがあり、果樹園があり、森があり、家がある。その中を特にあてもなく散歩してみる。実に気持ちがいい。私は夕方の時間が好きだ。誰しもが抱く郷愁だと思うが、特に秋の夕暮れ時はいい。太陽が沈んでからの数分間をマジックアワーというらしい。今年はなるべく時間を作ってマジックアワーを楽しもうと思う。娘とともに。







2013年8月25日日曜日

夏祭りと仮設の幸せ


 二本松の仮設住宅で所属するボランティア団体と自治会が共催で夏祭り・盆踊り大会を開催した。非常に盛り上がり、夜遅くまで宴が続いた。仮設の皆さんにとってはこのような大勢の人たちと賑やかに過ごす楽しみが一番楽しいようだ。ともすればマンネリになりかねない仮設住宅での生活。住み慣れた土地を離れての生活。周りに友達もいなければ部屋に籠りっぱなしという人も多いだろう。生活不活発病という病気もあるらしい。痴呆症や成人病に繋がっていく恐れも有り、少しでもアクティブに、生き生きと生活してもらうことが、今後も長く(残念ながら)つづく仮設住宅生活者には必要である。

 夏祭り自体は焼き鳥やかき氷などの屋台とやぐらを建てた盆踊りとシンプルなものであったが、仮設住宅の方達だけでなく、支援する我々ボランティア団体も多いに楽しむことができた。盆踊りに参加するのが初めてという人もおり、コミュニティが希薄になっている現代では昔からある盆踊りでも新鮮になるのだなと思った。
 
 さて、夏祭りは大成功であったが、今後も2回、3回とこの夏祭りを続けていくことがいいことか、あるいは悪いことの中と思ってしまった。夏祭り自体は参加される方は楽しいし、周辺の方達とのいいコミュニケーションの場にもなる。しかし、来年度以降も夏祭りが行われるということは、それだけ避難が長引くということでもある。この状況でいけばおそらく数年はこのままの仮設住宅での生活が続くはずだ。仮の町構想も用地買収も進んでいないなかでどれだけ実現性があるのかまったく見えない。おそらく、このまま借り上げ住宅と仮設住宅が複数の市町村の中にある形が続いていくのだろう。
 この二本松仮設住宅では自治会長のリーダーシップもあり、また、少人数の仮設住宅ということもあるのだろう、住民は皆、仲が良くほぼ毎日のようにサークル活動があり、それとともに四季折々のイベントなどがある。こんな幸せな仮設住宅暮らしはないという方もいらっしゃるくらいである。仮設の住環境は厳しいものがあるが、それだけでなく人と人の繋がりやソフト面の充実により幸せが作り出せるということがわかる。
 いっそのこと、こちらの仮設住宅は60代以上の方ばかりなので、このまま仮設住宅老人ホームにできないかとも思ってしまう。せっかくできなた人の絆を壊さず、老人ケアの仕組みを導入できればいいと思う。




2013年8月22日木曜日

福島の子供保養

 8月19日から21日、福島の子供達を新潟の海辺に保養旅行に連れて行った。姉の家族3人と姉の友達とその子供、姉の友達の義父とその孫の3家族の参加者である。家族旅行的な人数であったが、スタッフとなるといろいろ気を使い疲れた。でも、充実した時間を過ごすことができた。
 廃校となった中学校を改造して作った宿泊施設も子供達には楽しかったようだ。教室が客室に、技術室が温泉になったいた。体験教室もでき、松ぼっくりからフクロウの置物づくりをした。近くの碁石海岸というところで遊ばせたのだが、人も少なく穴場的海水浴場で十分に遊ぶことができた。
 福島で海と言えば太平洋側であるが、原発事故で海水浴はできない状況である。いや、海水浴はできるのだが汚染水の問題もあり、子供を海に入れる親はいない。海開きで子供達が海に入っている映像などがテレビで流れるが、大丈夫なのかと思ってしまう。放射能検査はしているということだから大丈夫なのだろうが、自分の子供を泳がせられるかというとう〜んとなってしまう。
 新潟に行っている時に入ってきたニュースが福島の子供44人が甲状腺癌とのニュースである。県は原発事故とは関係がないと言っているが、まったく信じられない。Twitterではこの話題が多くツイートされているようだ。これからも甲状腺癌が増え続けるのではないか、自分の子供もと心配している親は多いはずだ。ヨウ素が甲状腺に影響を与えるというのが立証されているのであれば、被爆した量がどうであろうと、原発事故という特殊な状況下に置かれた場所では、子供に対する検査、医療保障はしなくてはならない。子供の医療は福島は現在無料となっているが、それだけで済まそうという政府の考えは見え見えである。おそらく多くの人がそう思っていると思う。東電の損害賠償も1割程度しか進んでいないようであり、政府や県に対して、本当に生活を守ってもらえるのか!?という不信感が増大している人が多いと思う。今回、新潟に行き、福島のお母さん達の話を聞いたが、国や県に対する不信感というのがとにかく強い。
 政府、東電に対する恨み。なぜこんな目にという気持ちがマイナスのエネルギーを生み出しかねない。恨みは子供達に悪い影響を与える。恨みではなく怒りと行動が大切だと思う。政府・東電に対する怒りと行動。自分たちが助け合う慈愛と行動。二つの心と実践を子供達に背中で見せて行かなければ、いびつな福島になってしまう。子供達に正しい生き方をしてもらうためには今が踏ん張りどころだ。
 

2013年8月19日月曜日

お盆

 お盆の季節となった。福島ではフェスティバル福島というのが街中で開催され、有名ミュージシャンが集まり盛大に盆踊りをおどったらしい。私は仕事で街中にはいたが、駅を挟んで反対側で踊っていたらしく音も聞こえて来なかった。盆踊りのテーマは「ええじゃないか」というらしい。なんか終末的な臭いもするが。
 仕事を終え、夕方から娘をつれて土湯温泉の盆踊りを覗いてみた。こちらは小ぢんまりと温泉街の中にやぐらが組み立てられ、地元の人が踊り温泉客が見物といった風景。仮装盆踊りらしく、8割くらいの人はちょっとした仮装していた。中途半端な感じが田舎風で雰囲気が出ていた。温泉街の道には名産であるこけしの提灯らしいものが並べてあり、こちらも雰囲気があり、昭和のお盆という感じである。
 お盆の夜の空気感というのは独特である。夏の夜の空気というか。じっとりという重い空気が静かに満ちているあの雰囲気。その雰囲気の中で家族が集まり、死者の霊を向かい入れる。目に見えない物を感じるそれがお盆だと思う。お盆とかお正月という行事はけっしてなくならだろうし、その中で感じる雰囲気も日本人として時代を超えて共有できるものなのかも知れない。人と人が共有できるものというのは有りそうでない。まして時代を超えて共有できるものなど。神社仏閣など歴史を経て、あるものなどにはそのような雰囲気があり、人々に共有する何かがある。目に見えないものを大切にしてきた日本人である。この雰囲気を感じる行事やお祭りなど大切にしていくことが必要だと思う。人と人が共有する何か。それがなくなってしまえば日本人が日本人でなくなり、様々なひずみが出て社会がおかしくなるのではないだろうか。政治や教育など、その様なことにもっと目を向けるべきである。都合のいいナショナリズムやスローガンで日本人の共有を無理矢理作り出すのではなく、伝統の行事や文化に隠されている、静かに、それでいてエネルギーがある雰囲気を大事にしていくことこそ、今、日本にとって必要なことであると思う。

  


2013年8月11日日曜日

花火・自治会・ボランティア

  妻の実家の地区で夏祭りがあった。地区のお祭りとはいっても住民の数も多いため、けっこう大掛かりで、花火も相当数打ち上がった。去年も見に来たが、今年も妻と子供と義理の母と見に来た。出店も地区の人たちがやっているのであろう、ビールや焼き鳥、かき氷などがあり、多いに賑わっていた。遅く行ったので、生ビールが売り切れ、義理の母が残念そうであった。飲みたかったのであろう。
 このようなお祭りは帰省する人が多いお盆には各地で多数行われる。地域共同体として機能を確認するためにもおこなわれるのであろうか。また、帰って来た人に故郷の良さ、人と人の繋がりを確認してもらうためにも行われるのかな。前からやっているからその流れで行われているのか。いろんな側面はあろう。参加すれば楽しいし、花火もきれいであるが、このようなお祭りを維持していくのは大変である。自治会という組織の機能も弱くなっているようだし、皆面倒なことを嫌がる。高齢者だけになってしまったような自治会ではお祭りもやりたくてもできないであろう。
 震災以降、福島でのイベントの開催回数は劇的に増えていると思う。ボランティア団体や行政などが復興イベントなどを積極的に開催してくださる。私が係っているボランティア団体でも8月24日に仮設住宅での夏祭りイベントを開催する。このようなイベントは参加する人が楽しまなければ長続きしない。やってみると準備など大変であるがいろいろと楽しいことも多い。
 人は一人で生きて行ける訳はないし、やはり身の回りの他人と仲良くしなければならない。仲良くする他人との距離が以前であれば、地域の中だけ、職場の中だけであったのが、今は地区や社会的な繋がりを飛び越える。
 これからは機能が弱くなっている自治会と活動をしたいボランティ団体が連携していくことが必要だ。人出募集の自治会とお祭りやりたいボランティア団体をマッチングするような取組みがあってもいいと思う。

2013年8月10日土曜日

津田大介

 子供を近くの屋内遊技場で遊ばせて、一休み中。今日の福島は以上なほど暑い。日本全国同じように暑いようだ。今までが雨や曇りが多く、夏らしくない天気だったので、このいきなりの暑さは体にこたえる。福島特有の蒸し暑い夏がようやく来たという感じだ。娘は疲れて寝ているので、その間にブログを更新。

 来週、ネットメディアで有名な津田大介氏が福島に来られるらしい。知り合いの方が東日本大震災復興のためのフォーラムでパネリストとして津田氏と同席したということで、その方から来福の件をお聞きした。津田氏のことを知ったのは一年くらい前だろうか。最初は何を仕事にしているんだろうというのが感想であった。ブログを書いているだけで仕事になるんだろうかと思ったが、いろいろと見て行くと有料メルマガの配信や既存メディアへの出演など精力的に活動しているようだ。ただし、今までのコメンテーターやジャーナリストとも少し違う。どちらかというと何か小説家のような雰囲気を出しているというのが印象だ。彼が書いた新書も読んだが、ネットメディアの状況を客観的に分析しつつも、その分析の上に未来を思い描いているような感じがした。

 彼の情報発進力は凄いらしい。○○新聞、○○テレビのように現代における新しいメディア、彼自身がメディア媒体ということか。ネットの力というのは凄いものになつつある。個人が情報を発信することができるようになったというのは、革命的なことなのかもしれない。ただし、津田氏のように人間自身がメディア媒体のように巨大な情報発信力を持つようになれるのかというと、これもまた既存のメディアのように一握りの人間しかなれないのであろう。一握りの発進力のある人間を核にして、情報発信をする人間が網の目のように繋がっていく。一万人のフォロアーを持つ人間をキーに、その下に数百人のフォロアーを持つ人間が繋がり、その下に数十人のフォロアーを持つ人間が繋がって行く。会社や国、都市のつながりなどとある意味同じなのかもしれない。リアルな世界からヴァーチャルな世界になり、使うツールは異なっていても見方を変えると構造は同じなのかもしれない。ヴァーチャル上のネットワークビジネスがはやるかもしれない。

 さて、津田氏のような既存メディアとは一線を画して、情報発信力のある個人として動ける人間は被災地復興のためにはぜひとも必要だと思う。真実を多くの人に発信することからしか社会は変わらない。それでも変わらないのが日本だと思うが、発信し続けることが大切であると思う。特に福島から、福島に住む自らが情報を発信していくことが大切であると思う。カメラとパソコン、インターネットがこれからの武器だ。後は武器の使い方。ただ単に使えるものではない。カメラの取り方や文章の書き方、ネットの発信の仕方など訓練が必要だ。ネットメディア塾構想を津田氏に提案してみよう。ぜひ講師になってもらいたい。
 

夏の一日

今日の福島は朝からムチャクチャ蒸し暑い!
庭にパラソルを出して、朝涼。今日は一日、家族サービスをします。

2013年8月9日金曜日

汚染水

 7日、政府の原子力災害本部が一日300トンもの汚染水が海に流出していることを認めた。今頃になってという気がする。地下水が流入しているのは当初から分かっていただろうし、それが今まで海には流れ出ていないと考えていた方がおかしい。初めからわかっていたんだろと言いたい。
 この原子力災害に関しては最初から同じことを繰り返している。情報が後から後から小出しに出てくる。それがより不安をあおいでいると思う。そして誰も責任を取ろうとしない。これだけの放射性物質をバラマキ、海を汚し続け、それも自然災害だったからしょうがないということで、誰も責任を取らないのでしょうか。原子力村とよくいいますが、責任を追及しないということでは、日本全体が事なかれ主義の村に陥っている。先の参院選で自民党が圧勝したことでも明らかである。原発は心配だけどとりあえず目先の経済のためのは原発はしょうがいない。という感覚で皆が票をいれたのであろう。まあ、他の政党がどうしようもないということもあったと思うが。こんなことを考えると、日本はやはり成熟した社会にはなっていないということだと思う。子供と大人の教育が必要なのでしょう。
 とにかく今は海への汚染を止めることに全力で取り組まなくてはならない。でも本当にできるのか。放射線量が高い場所での作業になるはずだから、技術者、作業員の確保や作業も大変なはずだ。もし、食い止められなければ国際問題になるはずだ。近隣諸国に対して言い訳はできない。外交の主導権も握られてしまうだろう。日本は信用できないといって調査船を出されても今のままでは文句も言えない。政府はようやく国費の投入を決めたが、全面に出て自らも責任をとる覚悟でやってもらいたい。

2013年8月8日木曜日

夏祭り

 今日は福島で七夕まつりがあり、夜、妻と子供をつれて見物に出かけた。
市内のパセオ通りというところに七夕飾りが飾り付けられ、出店も出て賑やかであった。子供にはおもちゃの屋台でメロンパンナのお面を買って上げたが、700円もしてびっくり。やはりお祭り価格である。
 パセオどおりはいい雰囲気で、人も結構出ていた。今夜のようにいつも夜は通行止めにして、オープンカフェにしたらいいのにと思う。夜、人が出ていない町は面白くない。雑踏として雰囲気やエネルギーが新しいものを生んで行くと思う。

特攻隊記念館

 7月末、会社の旅行で鹿児島、熊本に行って来た。特に鹿児島の知覧にある特攻隊記念館は前から行ってみたかったので、会社の旅行にこれ幸いと喜んで参加した。まあ、幹事なので自分で企画したようなものだが。
 相乗りの定期観光バスを利用したので、実質30分くらいしか特攻隊記念館には居ることができなかった。もっと見たかったというのが感想である。記念館は予想していたより大きく、実質大の戦闘機も展示してあり驚いた。特攻隊で散って行った若者達の遺書や遺品が多数展示してあり、涙無しでは見られない。
 特攻隊として散って行った若者達の写真が一枚一枚展示してあった。その顔はどれも幼く、それでいて凛々しい。純粋という言葉そのものである。写真を見ていたら悲しみと同時に怒りが湧いて来た。彼らを死に追いやったのはなんなのか。特攻という馬鹿げた作戦をやらせた日本という国はなんなのか。もしかすると今も日本は変わっていないのではないか。馬鹿な大人がやった事の結末はいつも子供や弱い人たちに来る。今の福島でもまったく同じである。戦争と原発。まったく違うようで、その要因は同じなのかもしれない。

ぜひ、知覧の特攻隊記念館には行って欲しい。子供がもう少し大きくなったらぜひ連れて行きたい。
 



2013年8月6日火曜日

浪江町

 震災以降、いろいろとボランティア活動でご縁をいただいているのが浪江町の方達だ。特に桑折町と二本松の仮設住宅の皆さんとは仲良くさせていただている。どちらも自治会長さんがリーダーシップを発揮し、自治会と仮設住宅を取り仕切っている。言葉は悪いが親分さんのようだ。しかし、見ず知らずの人たちがいきなり一つの場所に集められて、共同生活をさせられるのだから、ある意味、人を従わせる迫力的なところがないとできないと思う。
 皆から怖がられ、それでいて慕われ尊敬される。リーダーとはどんな仕事、場所にいても同じなのでしょう。政治家も見習ってほしいものです。
 写真は教会に二本松の仮設住宅の皆さんがボランティア活動にいった時のものです。自分たちが受けたボランティアのお礼にボランティアを行う。こういったいい循環が続いて行くことがいい社会を作っていくことなのでしょう。
 

2013年8月4日日曜日

公園と子供

 午前中、子供と近くの公園に。ここは原発事故以降子供が外で遊べなくなったということで、大きなテントの下にボヨンボヨンはずむ大きな遊具がつくられています。子供達が大勢遊んでいました。
 我が娘は噴水に大興奮。びしょぬれで遊びました。放射能が怖いけど、子供達は元気に遊んでいます。多くの親も福島に住んで、子供と日々の生活をおくっています。
 今、福島に住んでいる大勢の親達が同じ心境だと思います。放射能は怖い。だけどまあ大丈夫だろう。ほんとうはどうなのかな?う〜ん分からん。でも子供達は遊ばせなくちゃ。と
 また、内部被曝が怖いから、食べ物に気をつければ大丈夫ではないかという考えも多くの人が持っていると思います。
 とにかく、定期的な健康チェックは継続してほしい。それから子供達が大人になった時に差別や偏見、立ち向かえる生き方を教えていかなければと思います。自分の人生を切り開いていってもらうためにも。


新潟の海

 昨日は8月19日から二泊三日で予定している福島の子供保養の予定地、新潟県笹川流れに事前視察に行ってきました。
 宿泊場所は村上市勝木にある廃校を改造した宿泊施設「八幡」です。学校を宿に改造した珍しい建物。中もそのまんま学校です。教室が部屋になっています。近くには海水浴場もあり、子供会の林間学校的なイベントにはぴったりの場所です。一人一泊素泊まり3500円という料金も魅力です。ただし、夜は少し怖いかも。夜の学校のような感じですので。
 近くの海水浴場は完全な穴場です。タイムスリップしたような感じ。少し寂しい感じがノスタルジーを感じさせます。





2013年8月3日土曜日

わらじ祭り

 昨日は福島市のお祭り「わらじ祭り」でした。大きなわらじを引き回し、わらじ音頭を踊ります。夜、家族でお祭りに出かけました。通りは人がかなり出ていました。少し肌寒いくらいの気温だったので祭り見物には涼しくてよかったです。
 ピザややきそばを家族で食べました。

高校生から学ぶ

 昨日は原発により浪江町から避難を余儀なくされている浪江高校音楽部の定期演奏会でした。こちらの高校生達は避難後も仮設住宅を訪問しコンサートを開くなど積極的にボランティア活動を行ってきました。震災で悲しいこともあったかと思いますが、笑顔でボランティアをしている姿には心をうたれるものがあります。
 大人は原発事故後、避難されている人たちの最大の関心は「補償」「除染」です。生活していかなければならない。家族の生活を支えなければならない。そのためには「補償」がやはり一番大事です。しっかり補償してもらうよう戦うことが大人の責任なのでしょう。また、元の生活に戻るためには「除染」がしなければなりません。しかし、それに加えて、浪江高校の生徒達が見せてくれるような笑顔と前向きに新しい生活を生きて行く姿も大事だと思います。
 原発事故で避難されている方達の今までの生活を元に戻すことは不可能でしょう。福島の人だけでなく、全国の人が心で思っていても、誰も口にしません。避難している人たちも心ではそう思っていると思います。皆がそう思っているのに、誰も口にしない。日本の悪いところかもしれません。

 新しい生活、生き方を目指していくことが必要だと浪江高校の生徒達の歌声から感じました。

2013年8月2日金曜日

相馬の海

昨日は相馬市に行ってきました。相馬では原発事故により漁師の方達は漁に出られません。今は週に一度の試験操業に出ている他、がれきの撤去などを続けています。漁船が寂しそうに港に停留していました。ここに来て原発から汚染水が海に漏れ出ていることがはっきりし、さらに漁に出られる日は遠くなりそうです。放射性物質は海で薄まるといいますが、海の底に放射性物質が溜まり、それを魚が食べ、人間が食べて、回り回って私たちのところへ来てしまうのです。海の前にたたずむと地球を汚してしまったということを感じてしまいます。
漁師の方達は生活の糧を奪われてしまいました。東電から保証は出ると行ってもやりたい仕事ができない苦しみは大きい。
相馬の若い漁師の方が、他から魚を仕入れて加工し、販売しようという企画が動き出しています。風評被害の問題もあり厳しいと思いますが、ぜひ成功してもらいたい。応援します。

2013年8月1日木曜日

補助金

補助金漬けのfukushima!

震災から仕事の上で一番変わったことは政府の補助金申請、それに係る業務、個人的な仕事が膨大に増えたこと。確かに被災された企業などへ復興のための補助金は必要です。速やかに支援することが必要不可欠。しかし、どうもそのお金がグルグル回って東京に帰っているような気が。まあ、除染の費用などに比べれば可愛いものかもしれませんが。

東京の大手NPOや社団法人、シンクタンク。復興への支援なのか、自らの業務なのか分かりません。一般中小企業、市民が知らない団体が補助金を取りまくっていますよ!

今、福島では雇用関係は完全な売り手市場。企業が募集しても人が集まらない。ちょっと前までは皆仕事がない、ないと言っていたのに。これも企業に賠償や補助金が出ているからのか。補助金業務は単年度で進んで行くからどうしても有期雇用にならざる終えない。一時だけお金がでていても、安定した雇用の維持には繋がらない。それでは真の復興にはならない。お金が出ている今、次のために何をする必要があるのか考え、行動しなければ。残された時間は少ないような気がする。

https://www.r-assistance.go.jp/default.aspx

初めてみました

福島の現状を記録しておきたいと思いブログを始めます。

東日本大震災から2年以上が経過し、震災への記憶も薄れてきています。しかし、被災地では今も震災の中を生きているのです。原発で避難されている方の仮設住宅での生活はいつ終わるのか分かりません。
汚染水漏れなど原発事故はまだ収束していないのですから。

原発から60km以上離れた福島市に住んでいますが、震災以降、日々に変化があります。経済、社会面においてです。復興による政府予算の投下。それに引き寄せられるように様々な人たちが福島に来ています。見た目には変化がないようでも、少しずつ変わっている福島。それでもまったく変わらない福島。日々のちょっとしたことを綴っていきたいと思います。